わたしが「つかさ」

 

おっちゃんは、東北の米農家の次男坊。

現在50代半ば、サラリーマンを辞め、2010年にこの島に移住して来ました。

幼少から登校前には農耕馬の世話をするなど、親父を手伝い、正直なところ農業に対して良い思い出はありませんでした。自分は親父から見れば「家族というより労力の一つでしかない」と感じていた時期です。

大人になってからは、実家から一番遠い場所でサラリーマンになり、日曜休日はゴルフ三昧、「時代」もそれなりに謳歌していました。

 

しかし、「こだわり」「頑固」「執着」が”傲慢”を迎えた時、自らを見直すためであったのか、30代後半に身体に天罰として降りて来たのです。開腹オペ後、2週間で復職したものの、悶々とした中での生活。3日以上の休暇ができれば旅して周り、自分は生涯何をして生きたいのか、定年後どうするのか、そして毎日怒っている生活への嫌悪。それらを感じ、考えさせられました。

 

自分の病気の根本は食の見直しからでは?

どうして、年々社内でも若年層のアレルギーや鬱症状のため、出勤もできぬスタッフが増えていくのか?

 

旅先での多くの自然療法家に出会ったことをきっかけに、エネルギーレベルで癒されるのを経験し、自然に逆らって生きるのはやめよう、定年後ではなく50歳で会社を卒業しよう、と考え始めました。そして、まだ体力のある内に農業で生きると決心。

 

元気ならば80歳でも農業は出来る。

 

どん底の気分を味わった病が教えてくれたこと。 変化の必要な時には破壊を伴う。失うから得られることを実感したのです。

 

どこで農業をするのか、移住先候補はいくつかありました。正直「寒い所は懲り懲り」という気持ちもあったのですが(笑)、初めてこの島に入島した折、買い物先でも食事をしても「どこから来たの?」など特に聞かれないし、尋ねると親切で温かさがあり、他の移住者の方たちが活き活きとしている姿に魅せられました。この島には、島外人に許容と懐の深さと魅力があるのです。

 

そして就農するなら、最低のスタートラインは「農薬、殺菌剤 除草剤 化学肥料は一切使わないこと」と固く決心。トレーサビリティのしっかりした物を使用する。今後の目標は土壌を整え、無肥料で柑橘を育てること。

 

おっちゃんの周りには叡智のある方が多くおられ、自然農、波動、シュタイナー農法に至るまで、様々なアドバイスを頂き大変ありがたいです。

 

笑える話になりますが、昨年シュタイナー天体カレンダーに基づき栽培したところ、収穫日の朝、気づいたら、その日収穫予定の作物を「鳥さん達」に献上していたのです。

みかんも、農薬不使用の畑の物から先に、鳥や猪のご馳走になります。 (笑)

 

おっちゃんの作物が、多くの方に、喜ばれ生かされることは大きな喜びです。皆様への感謝いっぱいです。

 

めげそうになった時どんなに励まされるか、おっちゃんは捻れ気質なので口には出せませんが、一つの作物を育てる専門農家でなくずっと百姓を目指します。

 

ありがとうございます